ここのところ
朝晩冷えるようになってきた
当然といえば当然
もう霜降を過ぎて
あと10日もすれば立冬だもんね
ついこの間まで
暑いぐらいだったから
季節が一気に進んだ感じがするよ

田んぼも黄金色になって
もうすぐ稲刈りだね


 藤原宮跡のコスモス
満開
大和三山が薄紅色に彩られてる
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畝傍山
金剛山葛城山二上山を背に

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耳成山
たしかにこの山には縁取りがない

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香久山
こちらは裾野が広いね

水曜日の朝は
散歩の人
写真を撮る人
普段よりも多くの人が
小道をを行き交ってたよ
夜明けごろに行っても
大きなカメラを持った人で
かなり賑わうスポットになってる
まあ、かめさんびきが
適当に撮っても
それなりに絵になる風景だから
撮りたくなるよね〜

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おいぬの散歩も多し

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藤原京は
広かったんだなーと
改めて思う

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紀寺跡と飛鳥方面
南に山がある

藤原京は
南のほうが土地が若干高く
大極殿のある北が低い
地形だったので
排水がうまくいかなかったため
10年余りで捨てられてしまった
という説が有力だけど
奈良盆地の南端にあって
首府としては
奥まっていて不便だったと
思うよ
平城宮跡のように
南が大きく開けていたほうが
いいに決まってる

高取城跡から
藤原宮跡のコスモスが見えるんだもんね
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去年の写真
杉の梢の向こうに
香久山と耳成山が見える
耳成山の手前にすこし紅っぽく見えているのが
藤原宮跡

南淵請安先生に師事して
唐かぶれだった中大兄は
海洋に開けた難波宮に出たけれど
白村江で負けて
一気に近江に引っ込んだ
壬申の乱で政権を握った大海人は
貴族の力を無視できず
飛鳥に舞い戻って
安定政権の構築に腐心し
その亡き後
中大兄の血を引く鸕野讚良は
飛鳥から一歩出て
広大な都城を築いた
ここから平城京平安京と
首府が表に出てくる礎になったことを思えば
持統天皇(鸕野讃良)の政治感覚は
恐ろしく鋭いように思う
だって
飛鳥はどっちを見ても山だもんね
水落遺跡のあたりから
ちょこっと奈良盆地がうかがえる感じ
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それでも
香久山に視線を遮られて
藤原宮跡の広大な眺めとは
風景の趣がかなりちがう

1/1000サイズの藤原京のジオラマが
藤原宮跡の西側の
「橿原市藤原京資料室」にあるよ
これ、中学校の歴史の教科書にも
写真が載ってる
力作だよ〜